アンナミラーズの歴史(4)

平成7年1月4日、仕事始めの日の昼下がり。
新都心の高層ビル街の各社がお屠蘇気分にひたっているころ、新宿中央公園に不揃いのジャージで楕円球を追うサラリーマンたちがいた。
平塚で悔し涙にくれた日から5か月。「4日だったら全員集まれるよな」という冗談がホントになってしまい、いつになく早い始動となった。
メンバーは、冬の間も会社の契約しているスポーツクラブに通い、市民マラソンにも参加し、フィットネスを維持していた。
公式戦のプレッシャーに負けないよう、マラソン大会に参加するさいは、罰ゲーム付きのきついノルマを課したりもした。
(話はそれるが、昨今、東京マラソンの影響もあってマラソンブームが定着し、平日夜の皇居の周りなんて人が多くて走れたもんじゃないらしい。ウチのチームのマラソンブームはこの年あたりがピークだった。時代がようやくアンナミラーズに追いついたってこと?)
6月には越後湯沢で合宿。
新潟に来たらやっぱ温泉と日本酒でしょ、という甘い期待は儚く消え、午前、午後の2部練習。
岩原スキ−場のゲレンデで基本スキルを反復し、徹底した走りこみ。
練習後もプールでトレーニング。
さすがに夜は多少飲んだが、翌日は主務に早朝から「俺たち、練習しに来てるんだよね?」とたたき起こされ、前夜何事もなかったかのような猛練習。
6〜7月。
週末は他チームとの練習試合のため平塚に通い詰めた。
晴れの日も雨の日も風の日も。
暗くなるまで。
あの頃は、いつも一番最後まで残って練習していた。(協会スタッフのみなさん、その節はお世話になりました。)
7月には、メンバー全員が松崎しげると東幹久を足して2で割ったような顔色になっていた。
関東大会1週間前。
対戦相手が決まる。
何回か見たことのある地元の社会人チームだった。
いかにもSOかCTBやってましたというようなやっかいそうなのが何人かいるチームだったが、倒し甲斐のあるチームだ。
昨年までは、かろうじて社会人のレクレーションの雰囲気があったこのチームは、いつのまにか男子校の運動部みたいになっていた。