アンナミラーズの歴史(5)

平成7年7月29日。大会当日。
平塚に向かう東海道線の車内からすでに緊張感が漂っている。
キャプテンの的場(仮名)は窓の外を見ながら「勝ちてえよな」と独りでつぶやいている。
藤沢あたりで誰かが言った。
「あれ、マリリン、観音様に手合わせた?」
マリリン(仮名)は、平塚の往復、電車のなかから大船駅そばの丘の上にある大船観音に手を合わせることを習慣としていた。この年、練習試合で好調なのと、あれだけハードな練習で怪我人がいないのは、そのせいだと信じていた。(あそこが観音寺という曹洞宗の寺だということは絶対知らないと思うが)
「あっ、忘れた!どうしよう。えぇ、今日負けますよ!あー、どうしよう。引き返そうかな。」
「大丈夫だって。」
「いやいや、駄目ですよ!負けますよ。僕のせいで。」
あわてふためくマリリンに主務は言った。
「気にするな。このせいで、もし負けても、全員の努力が無駄になるだけだから。大したことじゃない。」
「ええーっ。そんなぁ〜。」
これでだいぶ緊張がほぐれた。
勝てたらMVPは大船観音だな。
「今日は本気で勝ちに行くから安心しろって。俺がいままでどれだけ練習試合で手抜いてたか、わかるよ、きっと。」
これはウソだった。
緊張する若手にウソをついてまでリラックスさせるのも主務の仕事。
練習試合だって全力に決まってんだろ。


第5回関東大会。
初戦の相手は、東証1部企業の茅ヶ崎工場のチーム。
試合直前の円陣で下戸の主務はいつものように
「勝って上手いビールを飲もう」と言った。
この試合、前年入部したラグビー未経験者がアタックでもディフェンスでも大活躍する。
潤一、マリリン、慎之助(すべて仮名)の3人で組むエキストラチームは、タッチイン後の1点を確実に稼ぎ、日村(仮名、たぶん体脂肪率1ケタ)は、快足を飛ばし何度もゲインラインを切った。
ラグビー経験者は、手堅く連続攻撃を仕掛け相手のオフサイドを誘い、守備では渋く相手のスペースを消した。
ハーフタイム。
いつもは、ラインの間隔がどうだ、マークがずれてるぞ、とまくしたてる主務だが、この試合に関しては言うべきことはなかった。
「大丈夫だ、絶対勝てる。」
後半。
もう14年も前の事だ。詳しい得点経過は、覚えていない。
セーフティとはいえないリードを全員で必死に守った。
最後まで集中力が切れることはなかった。
試合終了を告げるホーンが鳴る。
長い間、力を合わせて努力してきたことが結実する瞬間。
日常では有り得ない感情の迸り。
武闘派清原が雄叫びを上げた。
キャプテンの重責を果たし息をつく的場。
昨年のこの日、悔し涙を流した潤一の眼には光るものが。
こんなマイナーなスポーツの地方大会の1回戦で、大の大人がこんなにも真剣なるのが、
可笑しくて、心地よかった。
試合後の挨拶のために整列しようとした時、
1年目から苦労を共にしてきた清原と眼が合った。
そのいかつい顔が少しだけぼやけて見えた。
海風が、強く吹いていた。


たぶん、上手いビールだったんだろう。
心地よい疲れとアルコールのせいで、平塚からJRで帰路についた僕らは茅ヶ崎では爆睡していた。もちろん、ばちあたりのマリリンも。
勝利の女神は、大船の丘の上から僕らを乗せた東海道線を見守っていた。