アンナミラーズの歴史(6)

最初の4年間を5回にわたって書いてきましたが、今回は10年分をまとめて。


初勝利の翌年、主力選手の相次ぐ転勤により活動は一気に停滞する。
平日夜の練習はもちろん、平塚の練習会参加も儘ならず、チームの力は下降線を描く。
それでも7月の最後の土曜日だけは、新潟、静岡、大阪などから集合し、関東大会への参加は継続した。
94〜95シーズンの遺産でたまに勝つことはあったが・・・。
チームの状況と会社の業績は見事にシンクロし、会社が新規採用を控えるようになったこの10年。
メンバーは基本的にほぼ変わらず、きれいに平均年齢が10歳上がった。
メンバーは会社でのポジションも上がり、家庭を持ち、自由になる時間も少なくなっていた。
「後半、絶対逆転するぞ」とか「アイツらけちょんけちょんにしてやる」なんていうセリフより
「あっ、その日は結婚記念日だから練習出れません」とか
「試合の日、上の子の幼稚園のお遊戯会なんですよ」なんていうセリフが似合う歳になっていた。いつのまにか。
そもそも自由になる時間をビーチに向ける情熱が中性脂肪と反比例するように少なくなっていたし、情熱に輪をかけて体力が無惨なまでに衰えていた。


15年目のシーズンに向けて、主務はある思いを抱いていた。
主務はメンバーの構成上、基本的には前後半フル出場していたが、年々それがキツくなってきていた。若手からも「なんか主務さん、後半バテてたよね。口あいてたし。」とフィットネス不足を指摘された。(それがわかってるなら、外で見てないで、歳が一回り下の君が代わってくれよ、とも言いたいのだが)
また、ビーチボーイズユニコーンズ組合、ジョリーズ、ブサイクのように1年間通してほかのことを犠牲にしてまでこのスポーツに賭けているチームと「いやあ、ボール触るの1年振りだね」なんて言ってるチームが同じコートに立つのは申し訳ないという思いがあった。
「数字的にも区切りがいいし、15年目で解散かな?」という思いが日増しに強くなっていった。